コラム「組織の成長加速法」-第93話 社員にラクに○○○をもたらし変える?
久しぶりにお伺いしたW社。ガチャ、ゴンッ。専務が応接室のドアを開ける音がしました。「お待たせしました。遠くまでありがとうございます。」経営のバトンタッチの期日が決まった後、お会いする度に、貫禄がます専務の大きな声が響きます。
足早に席の前くると「いやぁ、意識を変えるって難しいですね」とY専務は、ややお疲れのご様子。ソファーにどっかりと倒れ込むように体を埋めました。「いやー、参りました-」と宙を見つめて今度はぼそっとつぶやきました。
元ラクビーマンのY専務は、180cmを超える大柄で、声も大きく、人一倍元気な方。営業も兼ねて始めたというゴルフの腕も相当なもの。今はとにかくゴルフが大好きで、いつお会いしても、真っ黒に日焼けされてます。誰がみても、スポーツマンという印象の方。
その大柄の専務が、小さくなったと感じるほどに、「え?」って二度聞きしてしまうような、
小さな声で話し始めました。私はいつもよりも大きな声で「何があったんですか?」となんだか声だけはいつもの逆のパターンで専務との面談が始まりました。
Y専務がこの1ヶ月を振り返りをしながら、ボソボソと、そして、時折、目をしばたかせながら記憶を思い起こして、話してくださいました。
Y専務は、高校、大学とラクビー三昧と言っていましたが、日本トップレベルの関西の大学を
卒業された超エリート。普段は、自信に満ちた話しぶりで、聡明さが溢れ出るように、理路整然とお話します。
お父様の会社を承継するべく、6年前に銀行を辞めて、今の会社に入りました。以来、矢継ぎ早に、あの手、この手で、改革を断行し着実に成果を上げてきました。特に、銀行時代の人脈もフル活用した営業が奏功して、売上げ低迷から脱却し、直近3年は年率二桁の伸びを実現してきました。
営業部門は、ほぼ新設に近かったそうです。Y専務の思いのまま動く組織を作ることがだきたのですが、ここにきて、思いもかけぬ問題にぶち当たったのです。
社員の若返りは、管理本部を除く全社で進みました。開発製造部門も同様です。3年前に、新しい方針に異を唱えた工場長を初めとする、ベテランが一気に辞め、平均年齢は一気に8歳以上も若返りました。
Y専務は、工場運営については、ある程度工場長に任せる方針をとっていたそうです。もともと競争力のある製品なので、営業力を強化できれば、売上げが一気に拡大するという読みがあったのです。
ところが、開発部門が増産計画に対して、否定的で、計画が進まないだけでなく、生産性の向上、業務の効率化という取り組みも遅々として進まない状況にあったのです。
新工場長は、Y専務に協力的だったそうですが、ある時期を境に手のひらを返したように態度が変わったのでした。思い出す時は、目をしばたかせながら話す。専務が言うには、2年前に度々増産前倒しを強く要請した頃が転機だったそうです。
話せばわかると、開発部門のトップとは、度々協議を重ねてきたものの、態度は硬化するばかり。このままでは、折角開拓した営業先との関係も悪化しかねないと、Y専務の心配は募る一方でした。
工場長、各ラインの部門長から話を聞いてみますと、Y専務、会社に対する不満が次から次へと出てきました。不満の原因は、徐々に高まった不信。
開発部門でも、ベテラン勢がまとまって退職したことで、若手のリーダーとして頭角を現しつつあった工場長、部門長が必死に現場を支えたそうです。
休日返上で、支えた1年間が終わろうとした頃、Y専務から増産の相談がありました。Y専務からは、工場の稼働率を上げ、増産を実現して欲しい、というのでした。
工場長達も、入社して間もなく、右も左もわからないながらも、先輩方が口を開けば「稼働率が低すぎる」と、会社の行く末を案じる声が聞こえたことをよく覚えていました。
Y専務がくれた数字がぎっしり詰まった資料の内容はほとんどわからなかったそうですが、稼働率を上げよう」という専務の言葉に、将来への希望を感じたそうです。
工場長の説得で、「既に十分高い稼働率を維持している」という認識だった部門長達も協力してくれるようになりました。会社の未来のために、頑張ろう、そんな空気になったといいます。
ところが、その後も稼働率はジリジリ上がりはじめ、中堅社員達の残業時間が、法定労働時間を大きく超えるようになりました。社労士からの指摘があったということで、ある日、工場長は専務に呼べれ、労務管理がなっていないと厳しく指摘を受けます。
その場で、急遽、開発部門の新規採用が決定となり、戦力増強が図られたものの、以来、Y専務から度々工場長は呼び出されることになります。様々なデータの改善項目への進捗について、報告が求められ、改善していない場合は、対処法について様々な角度から質問が飛ぶようになりました。
当初は、Y専務の指摘は、開発部門の経験がないにも関わらず、的を得ていることが多いなぁ
と感じたそうです。ところが、開発部門で抱える様々な問題に対して、相談を持ちかけると「それは工場長が考えることでしょう」とにべもない返答があるだけだったそうです。
増産に次ぐ増産、解決しなければならない問題が山積していく一方、Y専務からは容赦ない指摘がつづきました、工場長はすっかり疲れ切ってしまったそうです。
「自分は信用されていないのではないか」そんな不安を抱えるようになったそうです。正論に次ぐ正論、だけど、工場長を初め、開発部門の努力に対しては当然のこと、という雰囲気で、どこまで言っても、責め立てられているように感じるようになりました。
あるとき、、工場長を初め、開発部門の部門長が目をかけてきた社員が急に出社しなくなったことがあったそうです。心を病み、両親からも、もうそっとしておいて欲しいという手紙が届いた時、採用時から、ずっと面倒をみてきた工場長が、人目をはばからず涙を流したことがありました。
工場長が、この件をY専務に報告した際、Y専務からは、労務管理のまずさを叱責され、同席してた社労士からも、訴訟のリスクの説明の後、今後の形式的な対応について、事細かに指示があったそうです。工場長の中で、何かが折れた瞬間でした。
増産指示にたいして、明らかに抵抗するようになった工場長に対して、Y専務は、会社の長期的な目標や、会社の社会的使命、その達成のための道筋等を繰り返し伝えることで、やがて同意を得られると思っていました。
ところが、工場長以外の部門長達の態度も、日が経つほどに硬化してく様に完全にお手上げ状態になってしまいました。
どちらに非があるかという問題よりも、会社の存続がかかっていますので、この問題を解決するための対処法についてY専務に提案をし、実行してもらいました。
3ヶ月目には、明らかに工場長、部門長の対応が変わったのがわかったそうです。当初の協力的な関係性に戻りつつあるころ、Y専務はもう一つ課題を発見しました。
それは、開発部門を支配する古いしきたり、考え方です。これらは、工場長や部門長が会社に入る以前から決められた暗黙のルールがあり、更なる、生産性向上を阻害していることでした。
個人の悪癖、組織の悪習というものは、どんな組織にもあります。ところが、このクセや、習慣の類いの対処法には、コツがあります。このコツをマネジメントのツールとして、もっていないと、何度面談を重ねてもうまくいきません。
クセや、習慣は、何か新しいことを始めるのではなく、それまでの行為を辞めることが必要です。こういうことのためには、ツールが必要です。
このツールを使うと、「気づき」を生み出すことができます。誰でも、人生のどこかの場面で、これまでやってきたことを辞めて、新しいやり方に変えるという経験をしています。そうした転機には「気づき」があるのです。
このように、「気づき」とは、人の行動習慣を変える、組織の悪習を断ち切るために、大変強力なものなのですが、この気づきには弱点があります。
いつ「気づき」があるか、「きづき」はコントロールができないのです。
しかし、ツールを使うと、リーダーは、必要な時に、相手に「気づき」を与えることができるようになります。
実は、マネジメントを行う際に、リーダーが苦戦する点の多くは、個人の身につけたクセや悪習にまつわる、抵抗、停滞、低下です。リーダーにとって、「気づき」をコントロールできるツールを自在に使えることでマネジメントの幅を簡単に広げることができます。
さて、御社の場合はどうでしょうか?
今でも、社員を動かすために必死で説得、説教、説明をしていますか?それとも、動かなかった社員をラクに成長へ導いていますか?