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代表 木村黒バック写真 コラム「組織の成長加速法」-第96回 成長の分岐点の裏にある組織が成長を加速する前提条件

東京のとある地域でNO1と言われるオフィスビルに本社を構え、圧倒的な商品開発力で競合を全く寄せ付けないG社のM社長。

先日久しぶりにお会いした際に、数店舗の展開から、一気に数十店舗の展開期した当時の時の話を伺いました。G社にとっては、これはいわば、第1期の拡大期でした。

(私はその数年後に訪れる第2期の拡大期のタイミングでご支援するご縁をいただいました。
第2期の拡大期は数十店舗を一気に200店舗超まで3年で拡大する時期でした。

今でこそ笑いなのですが、私がお会いした当初のG本社はお世辞にもきれいといえない
ビルの中にありました。ご紹介いただいた方から、当時業界NO1企業といわれたのですが、
半信半疑だったのを覚えています。)


数店舗の展開時にM社長は、これまた今からは想像できない完全ワンマン社長だったそうです。あらゆる情報をすべて社長が判断し、社長が逐一指示を下していく。一番エキサイティングだった時期、そうM社長はその時のことを振り返って言いました。

そんなM社長のマネジメントスタイルが変わるきっかけになったのは、全国展開を目指して、
横浜に一店舗だした時だったそうです。近いといっても、横浜の新店舗と東京にある本社の間を往復すると2-3時間がかかります。新店の立ち上げにゼロから完全密着をしていた社長にとっては思わぬ誤算でした。

全国展開の試金石としようと思っていた横浜の新店は、多店舗展開のモデル店という位置づけで、都内の直営店とは違うフランチャイズとしました。オーナーは別にいるとしても、運営は完全に社長が請け負うという契約でスタートした案件。

最初の数店はフランチャイズ形式のモデル店として、大成功させなければいけない。東京以外の地域で本当に成り立つのか否かも含め、社長にとっては、大きな賭だったそうです。

自分の時間の確保が大きな問題となったM社長に更に追い打ちがかかります。全国展開を目指すためには、地方都市型の成功モデルも必要ということで、次にオープンしたのは、仙台でした。

仙台と横浜を往復する日々が続く中で、既存店の運営は、完全に現場任せになったそうです。
そこで大問題が起こります。既存店の売上げ停滞です。新店の展開が始まる前は、社長が事細かにプロモーションの指示をしていたのです。M社長からの指示が止まると、それまで続いていた同じプロモーションの焼き直しを繰り返すことになります。その結果、集客効果はミルミル低下していきました。

その後に続く、大々的なフランチャイズオーナーの募集を前に、既存的な継続的な業績拡大の実績もまた死守すべき問題。M社長のワンマン経営スタイルはは完全にドンズまりになりました。

この状態、M社長も多少は考えていたそうです。が、横浜はともかく仙台の立ち上げは、首都圏とはまったく違うモデルの構築が必要となり、地方型のモデルを完全いゼロから構築する必要性に迫られたのは想定外だったというのが反省の弁でした。

結局、その後の全国展開のために、この仙台モデルは貴重なモデルになったのですが、当時の組織には重くのし掛かることになりました。


M社長は既存店の立て直しのため、支店長と本社のマーケティング部門に大幅に権限委譲を行い、独自にプロモーションを行い実行するようにしました。権限委譲してから、既存店の売上げ拡大が定着するまでの半年間は、この事業の最も困難だった時期のひとつだとM社長。

報告されるマーケティングプランには、一言も二言も文句があったそうですが、耐えに耐え、任せた半年間だったのです。


創業経営者は、エネルギッシュでアイディアマンという方が少なくありません。そうした方々はある時点で、大なり小なりでM社長と似た経験をされます。組織がある規模を超えると、創業経営者のそれまでの強みがマイナス要因になるのです。

危機が迫る俄然スイッチが入ってしまうのが、創業経営者の方々。周りがたじろぐ場面であっても、何倍もの努力でその危機にたった1人で立ち向かっていくのです。まさに24時間、考え抜き、手に汗を握る場面でも、決して臆することなく、手を動かし、足を動かし、うまくいかなければ、工夫に工夫を重ねて、結果に指をかけ、渾身の力でたぐり寄せる、これが創業経営者。

この時、経営者自身の能力はフル回転するのですが、これが組織全体に伝播するかというと、残念なことに多くの場合はそうなりません。

まるで、車のアクセルをギアがニュートラルの状態でふかすと、エンジンはうなり声を上げますが、車はピクリともしない状態と似ています。また一端この状態になると、「アクセルを緩め、回転数を落としてからギアを切り替える」という発想にはなりません。逆に、更にアクセスを踏み込み、エンジンは怪音を轟かせます。しかし、やはり組織は動かない。

この状態から抜け出すには創業経営者ご自身のマネジメントの仕方の転換が必要になります。


幸か不幸か、M社長の場合は、仙台店のオープンがきっかけで、自分のマネジメントスタイルを維持できないという状態に追い込まれました。

そこで、一部とはいえ、大幅な権限委譲を余儀なくされ、社長1人が高回転で動き回るのとは別に、組織自身が動力をもって動きはじめるようになりました。

いみじくもM社長が、第1期の拡大期までのことを次のように語っていました。「最初の数店舗までは、自分が1人で判断したほうが、確かに当初は早かったが、途中からそれを続けられなくなった」と。組織拡大の過程で、これと同じようことを、多くの創業経営者が体験をされます。

今になってM社長も「最初から自分は全く手を動かさないと決めておけばもっと早く進めてた」といって笑っていましたがこれは結果論というもの。

最初起業で、この形式がとれる人はほとんどいません。言ってみれば起業そのものの構造的な問題です。社長がその道の専門家で起業するわけですから、少なくとも起業の初期は、社長が売上げを上げる以外に方法がないのです。


さて、G社の場合は、数十店舗の拡大に成功した後、第2期の成長停滞期に直面します。これもまた組織がある規模を迎えた後に多く企業が経験することでもあります。社長と直接言葉を交わすメンバーよりも、社長と直接話したことのないメンバーが組織の多数派となるとき、この問題は起こります。

社長のそばで一緒に仕事をしてきたメンバーは、「社長の判断」を見て聞いてすり込まれています。権限委譲した時に比較的短時間に、社長の判断を元にして、自ら判断し、動き始めることができます。G社の場合は、第1期の停滞期で支店長、本社のマーケティング部が、社長から権限委譲を受けた時に実際にこの状態となりました。

第2期の成長停滞期を脱するには、権限委譲だけでは組織が動くことはありません。「さぁ、自由にやってもいいよ」と言われても、判断出来ずに、動けないということが起こります。または、環境変化を無視した前例主義に基づく判断が横行し、トラブル頻発という状況にまでなるのです。

成長を持続させるためには、環境変化を考慮し、自らが適切に判断できる社員がいること前提です。G社の場合もそうですが、私が支援する企業は展開を加速するための前提条件整備を必要とする企業が多いのです。

御社い置き換えて考えてみてください。御社には、展開を加速するために変化に対応し、自ら判断できる社員はいるでしょうか?

こういうお話をすると、「外部から調達する」という方が未だにいらっしゃいます。もちろん、選択肢という点で論理的に成り立つ話です。ですが、組織のダイナミズムを考えた時に、
果たしてそれが正しいといえるかは大きな疑問符がつきます。

よしんば、運良くよい人材が採れたとして、その状態を創り出した原因がそのままであると、
そうした人は嗅覚が効き、辞めていくでしょうから。

もっとも現実的な手法として、御社の中で、「環境変化を考慮し、自らが適切に判断できる社員」を育成できるようにすることです。一見すると、とても難易度の高いことに見えるやもしれませんが、ステップにわけることで、これは必ず実現できます。


さて、御社は、「環境変化を考慮し、自らが適切に判断できる社員」の数は増えていますか?
もしまだだとしたら、いつから増やしますか?