コラム「組織の成長加速法」-第138回 動かない社員に腹を立てても始まらない。動かない社員が自ら動き出す状態を作るためには、○○を変えること。
「ついつい『なんで出来ないんだ!』って怒鳴ってしまうこともありますね。」と苦笑いをしながら、話してくれたのは、M社のH取締役です。
部下指導で厳しいことで社内でも有名な方。そんなH取締役のお話を聞きながら、M社のK社長の言葉を思い出していました。K社長がH取締役の話をするとき、何度無く耳にしていたのが「Hの言っていることは正論なんですけど、あれじゃ、人がついていかないですよ。」というもの。
かくいう、K社長も、創業以来16年、鬼軍曹として一代でゼロから驚異的なスピードで事業を作ってこられた方。8年前に自分のやり方を大きく変えたとおっしゃる。それまでは「すぐに成果を出せない奴は大嫌い」そう公言してはばからなかったそうです。
アポの電話の数が足りなければ、会議室に呼んでこっぴどく怒鳴りつける。お客様への訪問をして、聞くべき項目が抜けて帰ってくると「給与泥棒!」と言って罵る等々。武勇伝ならぬ、悪行の数々をやり続けたそうなのです。
そして、ある時、自分の右腕と思っていた幹部、自分のこと(K社長のこと)を目標といってくれた中堅社員、頼りにしていた現場責任者が、一度に大量離反したのでした。
「自分の言う通りやればよい。ただ自分の指示通りやればよい。そうすれば、売上げは上がり、結果的に給与も上がる。だから、憎まれても、陰口たたかれても、結局のところ自分のお陰で、みんな幸せになれる。」そう信じて疑わなかった。と。
そういった後に、「いやいや、そうじゃない」といった調子で首を振りながらK社長が懺悔の言葉を口にしました。
「みんなのためを思ってやっていた。」そう思っていたけれども、社員のことを本当に愛情を持っていたかといわれると、疑問の余地がないわけではない。否、どこかに、うまく使ってやろうという気持ちもあった、と。
社員の大量離反の結果、事業の計画は変更を余儀なくされました。計画通りの拡大が難しくなり、停滞時期に入ります。「自分が経営する会社が停滞するということが恥ずかしかった」と。「あれほど苦しい時期はなかった」と振り返ります。
悔しく、大変な虚脱感の中にあっても、やはりK社長です。転んでもタダでは起きませんでした。「これまでの自分のやり方ではダメなんだ」と、反省し、新しいやり方を模索した結果、今のK社長のスタイルに至ったそうです
本やセミナーに参加して、正しい経営とは何か?成果が持続する経営とは何かを求め歩き、「経営の中心軸に、理念を置き、社員もお客様をも心豊かになってもらう」これが今後の事業のやり方と結論づけました。
社長の方針の大転換を喜ぶ社員ばかりではなかったそうです。給与が良いからと我慢していたベテランが辞めていきました。一層、事業運営が苦しくなったそうです。ただ、社長の決意がゆらぐことはなく、これまでのすぐに成果を求めずに、将来の持続する成果に照準を合わせ続けました。
新卒の採用が始めたのもその頃。組織の血を入れ替えようと考えて取り組みました。しかし、想像よりも、採用後の新卒の対応の手間に疲れ果ててしまい、最初の1年目でギブアップ。新卒の採用を一度中止になりました。
最初に入社した4名の新卒の成長具合、教育の試行錯誤を経て、それから2年あけて新卒採用を再開。採用基準も変わりました。更に、能力重視から、人物重視。大きな不安を抱えながらも社長が続けた結果、再会から4年目になって、新卒採用で入社した技術者、営業マンが大活躍。会社の業績が一気に上向き、利益が積み上がりました。
K社長曰く、「新卒者に、何を求めても、何ひとつまともにできませんでした。」と。そこで私は完全に切り替えることにしたのです。自分に合わせてもらうのはもうやめにして、一人一人違う彼らを一人一人違うという視点向きあおうと決めたのです。
「そしたら、みんなが応えてくれました。」と。続けて、「あー、そういうことだったのか」と。「やり方がわかったんです!」と身を乗り出します。今残っている幹部、リーダークラスにこれを分かってもらいたいとやってきたのですが、ここが中々進まない。これが悩みなんです。特にHは、営業を統括しているので、Hに変わってもらわないと、組織も持たないし、Hも結局つぶれる。」と。
なかなか自分では、幹部やリーダーのやり方を急激に変えられないから手伝って欲しい。そうおしゃって、弊社に相談に見えられた時に言っていたのが、K社長です。営業統括のHさんがほとんど変わらないことに特に危機感をもっていました。
そこで、私はHさんと面談をすることになりました。
面談を積み重ねるうち、マネジメント技術のトレーニングを始めたのです。Hさんは、社内でダントツの成果を上げ続けたセールスマンでもありました。セールスの現場で起こっていることと、部下マネジメントの話を常に比較しながら確認することで、Hさんの中での変化は、3ヶ月目に完全なものになりました。
このことには社長もびっくりされてました。K社長とHさんの席は比較的近く、Hさんが電話で怒鳴るのが日常風景になっていたので、それがパッタリとなくなったことは社長には驚きだったのです。
Hさんも、またK社長が経験したのと同じことを追体験していました。「怒鳴らなくなったら、部下が提案してくれるようになったのです。」と。嬉しくもあるけど何か釈然としない、複雑な表情を2ヶ月目に浮かべていました。
Hさんの元にいる部下達は、Hさんには及ばないものの、全社の売上げの5割以上を上げる
部長や課長達でした。「改善点を提案して欲しい」といったら、これでもかという程の提案が
あったというのです。
Hさんは、今、社内で、この方法を部長課長に伝える中心人物になっています。
かつてのHさんを知る人達には、Hさんの存在そのものが説得材料です。以前なら、Hさんに会議室に入れば大声で怒鳴られるのを覚悟しなければならなかったからです。
Hさんはもう怒鳴りません。K社長同様に、部下は自分に合わせればいいのだという考えから
完全に脱却しました。
Hさんにとって、部下、社員の定義が完全に変わったので、当然、対応も変わったのです。
最初は、部下や社員の笑顔に喜びを感じるものの、自分はストレスを溜めて苦しい時期が
あったといいます。
しかしいま、腹に力をぐっと入れて大きな声を出すことに力を使う代わりに、どうやったら最短で求める領域に相手が進めるかを考える事に時間を使うようになりました。
Hさん曰く、「(木村先生から)指摘を受けた通りで、営業と似ている事に気がついてから
とてもラクになりました。パターンも実は限られているのだ、ということも、本当にそうだ
と思えるようになったのです。」と。
Hさんは、伝道師として、教えるようになってから、人が変わっていくカラクリが掴めて
きたようです。
さて、あなたの会社の場合は如何でしょうか?
会社の経営層、リーダー達は、自分と違うのが当然と理解の上、以前とは違う対応で社員の生産性を劇的に改善できているでしょうか?
それとも、経営層、リーダーは、自分に合わせて当然と考え、渋々指示に従わせ、生産性の低い状態を続けているでしょうか?