コラム「組織の成長加速法」-第176回 まず、目の前の一人を着実に前に進める。それなくして、組織の未来はありえぬ。
2代目社長のKさんは、2代目とはいえ、実質的な創業者です。先代から会社を引き継いだ時は、会社は火の車。社員8人からのスタートでした。それから18年で、社員は60名を超えるまでになりました。
実は、K社長からは4年前、社長就任14年目の際に、御連絡をいただき、新規事業部門、営業部門の拡大支援をさせていただきました。4年で一気に倍の規模になりました。目下、大躍進中です。ある程度土台ができたので、ご支援を一端終了しました。
K社長の会社には、当時から技術部門があったのですが、技術部門のご支援は対象外でした。後日、その理由をK社長から伺いました。最初の導入時、技術部門のトップF取締役の反対が強く、技術部門への導入は一端見送りになったとのことでした。
4年前、社員が次々と辞め、青息吐息の状態だった新規事業部門の躍進と、営業部門の活性化は、F取締役も認めることとなり、今回の話に繋がります。
F取締役は、頑固一徹。そんな言葉がぴったりな方です。K社長が、社長に就任した時から、K社長とF取締役は二人で会社の売上げを支えてきました。K社長は、F取締役のことをとても信頼していたのですが、頭を痛めていたことが一つありました。
それは、F取締役が現場叩き上げの無骨者であることでした。K社長がF取締役を信用している理由でもあるのですが、F取締役は、曲がったことが大嫌い。誰彼構わず、歯に衣着せず徹底的に追い詰めてしまうのです。
更に、昔気質のところが抜けません。未だに時々、「近頃はさ、先輩に教えてもらうのが、最近は当たり前だから。。。」という言葉がぼそっとF取締役の口をついてでるのです。
K社長は、F取締役と今の若者との意識のギャップは埋めがたいと考えました。業績がある一定に達した際に、F取締役を早々に現場から引き上げて、現場社員と直接関わりを極力減らすように仕向けたのです。
ところが、問題は、これで解決に至らなかったのです。一難去ってまた一難です。F取締役さんから直接指導を受けた、F取締役子飼いの部長がいました。部長のMさんは、まるでF取締役その人と同じように社内で振る舞います。強烈な檄を自分の部下に飛ばすのです。
K社長はF取締役にも、Mさんに注意するように何度も伝えていました。F取締役も社長の意を組んで真剣にMさんに言い含める場も何度もありました。ところが、改善は見られませんでした。
K社長は荒療法に転じます。M部長に直属に若い社員を必ず一人つけるようにしました。そして厳命しました。「もし辞めさせるようなことがあれば、部長として失格ということだ!」と断じたのです。
結果はというと、3年目にして3人目になっていました。3人中2人は半年以内に退職していました。昨年M部長に直属に配属された3人目の新人社員、K社長もその子の顔を見ていると、入社してすぐのGW空けには、顔色が優れないのがわかるようになりました。
このタイミングでK社長から私にメールにて御連絡がありました。F取締役、M部長ともう一名部長、3名の方々のコンサルティングがスタートしたのです。
F取締役は、M部長を大変かわいがっていました。M部長が部下に厳しく当たる原因を自分にも責任があると、初回ご面談の時におしゃったのです。
F取締役は社長の性格も熟知していて、今回ばかりは、どんなにF取締役がM部長をかばったところで、M部長を社内に残すことはできない。そう考えていました。
面談の最後に、F取締役は、私の目の奥にやさしくも突き刺さるような真剣なまなざしで仰いました。
「木村先生、私がいけないかったのです。どうかMを御願いします。アイツは、私の同じで、不器用です。このままでは、いよいよ居場所がなくなる。私も、ゼロから取り組みます。」
なぜだか、私は涙が溢れそうになってしまいました。人の覚悟の瞬間に触れる時は、私の身体のどこかが共鳴します。
初回の報告から、2回目、3回目辺りの報告までは、K社長はいつも私をからかうように、いたずら顔です。そして言いました。「どうですか?FとMは?」私も調子を合わせてお返ししました。「いやぁ、社長、お二人ともお伺いしていた通り、なかなか個性が強いですね。」と。
ところが4回目の報告時から、K社長の顔が神妙になってきました。
「木村先生、Mの部下2人と先日たまたま話す機会がありまして、課長と係長がこの前、“M部長に初めて誉められた!”って言ってました。」続いて、「今月の技術部門の会議に参加したのですが、以前の社員達は、ただ聞いているだけだったのですが、、顔が変わってきましたよ。」と。
今度は、私がK社長をからかう番です。「社長、いい話なのに、ちっともうれしそうじゃないですよ。」と。
「一体何をしたのですか?」とK社長。「前回、新規事業部門と営業部門とやったことと同じことやってるだけですよ。」と私。「え?」と驚いた顔をされて、K社長はまた神妙な顔で、「・・・あのFとMがねぇ、こんなに早く・・」と。
F取締役、M部長、もう一名の部長の変化により、技術部門の5名の課長達、そして約20名の社員達の生産性は、1.3倍から最大1.7倍になりました。その結果、コンサルティングを初めて6ヶ月目から毎月過去最高の更新を続けるようになったのです。
M部長は、コツを捕まれたようでした。怒鳴る、叱る、追い詰める、といったことは皆無となりました。これまで遠巻きにしていた課長は、M部長にアドバイスを求めることが多くなりました。
このM部長の変化を一番喜んでいたのは、あのF取締役でした。最後の面談の時に、F取締役は言いました。
「もっと早くこれに出会っていたら、きっと私の人生は全く違っていました。社員に同じ思いはさせません。木村先生、ありがとうございました。」
と言って深々と頭を下げられました。
顔を上げた時、F取締役は笑いながら、涙を流されていました。私もつられて、涙も鼻水も流れてしまって、なかなか言葉にならない。
なんとか絞りだしたのが、「Fさんのお陰で、Mさんも歩みだされた。私の方こそ、(Fさん)ありがとうございました。」
F取締役は、言葉には出さないまでも、必死だったはずです。Mさんがもし変わらなければ、Mさんの居場所は本当になくなっていたでしょうから。
それにしても、頑固者の親玉と子分が一緒にミルミル変わってしまったことには私も想定以上のことでした。さすがに通常通りの半年では、なかなか難しいかなと考えていたのです。
K社長の言葉通り、「・・・あのFさんとMさんがねぇ、こんなに早く・・」私も全く同じ心持ちでした。
F取締役は以前から、M部長の変化を作ることに、本気に接していましたが、やり方をご存じなかったのです。やり方さえ知っていれば、目の前の一人を動かすことができるようになります。
実際に、M部長の変化だけでなく、あれよあれよと、20名の組織は音を立てて変わっていったのです。
社員の変化を創り出すのは、マネジメント技術で目の前の一人を変えるところから始まります。