コラム「組織の成長加速法」-第110回 ○○に固執する幹部は何度も同じ失敗をする
関西地方のある業界NO1の企業、T社のコンサルティングをした時のことです。周りからは成功企業といわれるT社においても、組織の成長スピードが加速する中で、スピードの早さ故に、振り落とされそうな幹部が出てきていることに、M社長は危機感を持っていました。
T社には、全社売上げの8割を任されている2人の幹部がいました。この2人にはいくつか共通点がありました。
この2人は同じ年に数ヶ月の差で入社した中途入社組で、2人とも他業界の転職でしたが、持ち前の負けん気が奏功して、驚くスピードで営業成績を伸ばしていきました。
先輩営業マンを次々に抜き去り、入社5年目からは、半期毎の社長賞は、2人がいつもトップ、次点を分け合う形になっていたのでした。5年目には共に部長職となり、それぞれの事業部を牽引する大黒柱になったのです。
ところが、この数年で2人の幹部には大きな違いが生まれてきていました。M社長が危機感を持ったのも、この2人の違いが原因だったのです。
幹部のYさんは、自分の後任の育成に勤しむようになっていました。まだ上手くはいっていませんでしたが、それこそが、組織を更に拡大するために、絶対的に必要なことだと考えるようになったからです。
もう一人の幹部Sさんは、口では、自分の後任を育成するべきといいながらも、自分がトップ営業マンでいることが最優先でした。そのため、自分の仕事が忙しくなると、自分の案件が最優先。複数の案件が重なった時に、部下が失敗しようものなら、「邪魔するな!」といわんばかりに、それはそれは凄い剣幕で部下をまくし立てるのでした。
全社で営業成績NO1のSさんにはいつだって難しく、大きな案件を手がけていたので、店舗の中ではいつもピリピリしていました。
部下が、少しでも間違ったことを言おうものなら、怒鳴るか、無視するか、嫌みたっぷりに相手を罵る、部下たちは、本当に必要なこと以外は、Sさんには話しかけようとしなくなりました。
その結果、Sさんだけは、別格の成果を出し続けるものの、Sさん以外のチームメンバーは、うつろな目をしたまま、言われたことだけを淡々とこなすようになりました。
もちろん、Sさんは、そうした姿勢に満足していたわけではありません。ですから、「なぜやらないんだ!」「もっと考えろ!」「もっと先を読め」「もっと(顧客から)しっかり聞いてこい!」、、と毎日同じように怒鳴り続けていたのです。
部下たちも、怒号が飛ぶ環境が好きなわけではありませんでした。しかし、2つの選択肢から選ぶなら、怒号が飛ぶ環境を我慢するほうがよかったのです。
もう一つの選択肢は、自分なりに考えて工夫をしながら進めること。しかし、やり方、進め方がSさんの考えと少しでも違うものなら、Sさんの執拗な個人攻撃を受けることになるのです。自分のプライドがズタズタになるまで、なじられ、さげすまれ、そして、疎んじられるのです。
それに比べれば、いつも通りに怒号が飛ぶ環境を我慢する方がまだましだったのです。
こうして、Sさんのチームのメンバーの目からは光が失われ、本当に必要な状況に陥らない限り、メンバー自ら口を開くことはタブーとするようになっていきました。
私がSさんと部下の面談に立ち会った時、何を聞かれても、黙りこくったままの部下を前にして、Sさんの猛々しい言葉だけが終始響き渡るその異様な雰囲気に驚いたことは言うまでもありません。
もう1人のYさんは、なんとか自分が現場業務から離れて、全社の仕組み作りに携わろうと数年間試行錯誤を続けていました。
私のコンサルティングを受け、自分のやり方との違いにすぐ気がついたそうです。私から、成果を上げるための、マネジメントの考え方と、その考え方を浸透させる手法を仕入れると、すぐさま現場に使い始めました。
Yさん曰く「目からウロコ状態だった」そうです。自分なりには工夫してきたものの、際だった効果を実感したことはなかったそうです。それが、試してみたそのい直後から、相手の反応がまるで違い、行動が変わる様を見て、驚きを隠せない様子でした。
元々のYさんの計画では、2年間で30代2名と40代後半の2名の合計4人を既存店の店長として2人、新たに立ち上げる2店舗の店長候補として、育成する計画でした。
私がお会いした時は、既に2年半が経過している状態でしたが、Yさん曰く、「全く任せられる気がしない」という状態で途方に暮れていたのです。
ところが、開始から3ヶ月で、30代2名は、Yさんが驚くほどの成長を見せてくれました。4ヶ月目からは、この2名にほぼ全ての会議、ミーティングは仕切ってもらうようになったのです。2人から提案が次々と出てくるようになったことにも、嬉しい反面驚きの連続だったそうです。
全てが上手くいったわけではありません。40代後半の2名には苦戦を強いられていました。ミルミル変わっていく30代2名と比べると、全く前に進む気配がしないこの2名を目の当たりにして、Yさんも一度途中あきらめかけました。
私との面談の際に、「この2人は無理かもしれない。」とYさんがそう言い始めた時、「それを決めるのは、半年後にしましょう」と私はYさんに言って、相手にしませんでした。正直なところ、私も、内心穏やかではありませでした。というのも、入社直後からYさんの部下だったこの2人に対しては、10年近く、ずっと指示を出し続けてきたと聞いていたからです。
6ヶ月のコンサルティング期間の中で、どこまで変わるかは読み切れませんでした。しかし、途中で止めたら、全ての可能性が立たれるのはわかっていましたので、最後まで粘る以外に方法はなかったのです。
また、会社の成長スピードから言っても、Y さんが店舗業務に時間を使いつづけるという選択肢もありませんでした。なんとしても、Sさんには、店舗間でバラツキが目立ち始めたサービスの質を全社レベルで統一し、全体的な質の底上げを仕組みを使って実行する時期にあったのです。
拡大のスピードが上がる中で、サービスの質の低下は、かならず大きなクレームや事故につながります。本来なら、もっと早く手をつけるべきところでしたが、Y さんが直接支援する店舗数が増えたことも手伝って、店舗業務に忙殺されていたのでした。
40代の2人に変化が出たのは、5ヶ月目。内心不安だらけだったSさんが満面の笑みで報告してきたことが忘れられません。「今月2人とも、計画達成して、周りにもすごくよい影響になっています。」
2年半かかって、変わる兆しが全く見えなかった状態から、一気に前に進み始めたのでした。
対するSさん、3ヶ月目辺りからYさんのチームの成果が漏れ伝わると、悶々とし始めました。
Sさん自身、後任の育成が必要なことは、頭では理解していたのです。後から聞いた話ですが、Sさん自身悩んでいたそうです。事業部のトップになった時から組織の成長と共に自分が組織から期待されていることと、自分が出来ることの違いがあることに気づいたものの、その事実から目を背けようとしていたのでした。
ところが、コンサルティングがはじまってから、ライバル関係にあるY さんのチームの状況を聞くにつけ、不安は膨張し続けていました。
Sさんにとっては、営業成績トップでいることこそが、自分自身の存在意義でした。「営業成績トップ」であることを止める、ということは、あり得ないことでした。
まだ手にしたことのない、「後進の育成」という役割は、Yさんにとっては何やら得たいのしれないもので、それで自分の存在意義を満たすことを想像できないでいました。
とはいえ、悶々としながらも、Yさんに遅れを取るわけにはいかないという気持ちも日に日に強くなっていきました。自分のチームの後任候補は、これまで通り、会議を仕切るどころか、
会議では、余程のことが無い限り、沈黙する状態が続いていたのでした。
自分のやり方を手放せずにいるSさんでしたが、私はあまり焦りを感じませんでした。Sさんの様に営業力のある人は、人を動かす基礎技術は十分あります。それを応用することで、すぐさま部下を動かすことができるようになるものです。
これまでの事例を踏まえると、成果に結びつくまでのステップは私にはが見えていました。Sさんの場合は、組織のSさんの役割の変化を認識してもらうことが先決と考えたのです。Sさんにとっては、初めて経験することばかり。今まで使っていた道具を捨てきれず、両手がふさがったままの状態が続いていました。
結局、我流に固執するSさんの組織は、4ヶ月間何ひとつ変わりませんでした。しかし、かつてSさんの部下だった1人がYさんの部下の成功したというニュースが変化のきっかけになりました。
30代の彼が3ヶ月目に上げた驚くべき成果を見て、Sさんにスイッチが入ったのです。Sさんのチームが次のステップに上がりはじめたのでした。面談時、そして、面談の後、Sさんから質問が増えるようになりました。
T社が掲げたその年の予算は、前年比25%成長を目指したものでした。業界平均成長率からすると、ぶっとんだ目標でしたが、達成してしまいました。
M社長が危機感を抱いたSさんの変革こそが、予算達成の鍵だったのです。最終報告の際に、M社長からは、一時はとても心配したことを告げられました。しかし、満面の笑みで、来年の予算に関しても、既に相当貯金があるので、このままいけそうですという、社長が見つめる先には、違う未来が出現しつつあるようでした。
さて、御社の場合はどうでしょうか?
貪欲に新しいやり方を取り入れる幹部が多いでしょうか?それとも、様々な理由をつけて、自分のやり方を捨てられない幹部が多いでしょうか?
もし、後者だとしたら、改善への手立ては見えているでしょうか?是非確認してみてください。