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代表 木村黒バック写真 コラム「組織の成長加速法」-第117回 「昨年と変わらない」ことほど○○○○ことはない。

数年来のお付き合いとなる、300億円企業グループの総帥、T社長。ある時、T社長が「現場に出てる頃は毎日が楽しかったよね。大変だったけど。お客さんとさ、あーでもない、こーでもないって」といってこぼれんばかりの笑顔。

でも次の瞬間、前をじっと見据えて、「それはもう(社員に)任せて、別のところで、喜びを見いださないとダメなんだよな。」と。


T社長は鬼の形相で怒鳴り散らすことで、役員、部長からは、本当に恐い存在として認識されていました。その一方で、80名を超える本社社員一同を集めた朝礼では、一人一人の顔色、姿勢、言葉の強弱から、敏感に変化を察知して、「最近どうなの?」と笑顔で声をかけて気遣うことをやっていました。それが目的ではありませんでしたが、結果的にT社長の求心力は高まる一方でした。

社長が「頑張れよ」と声をかけると、ぼんやりしていた社員も息を吹き返したように動き出す。創業社長に共通する魔法です。

T社長は、ある時まで、全社員の日報に目を通し、できるだけ多くの社員に一言でもコメントすることを続けていました。接待のゴルフで朝5時に起きるのに、深夜の2時まで返信していたこともあったと言います。

ある時、各役員に自分の担当部署の社員の日報に必ずコメントするように指示しました。そして役員にはもう一つ指示をしました。役員が社員にコメントするときは必ずT社長にもBCCを入れるルールにしたのです。

そして、社長自身は、役員の書いたコメントに、コメントをして、役員にコメントをする力を引き上げようとしたのです。役員が魔法を使えるように、社長は創業社長の魔法を自ら封印したのです。「最初のうちは、「なんだ社長、最近コメントくれないじゃん」なんて言われたけど、半年したらみんな慣れた。」ちょっと寂しげながらも笑顔で振り返りました。

この上なく喜びを感じていた最終顧客との関わりを止め、一般社員との関わりも意図的に減らして、社長が進めたのは、グループ経営。

ずっと昔からお世話になった顧客とも、毎月飲んでいたのが、3ヶ月に1回になり、そして、1年に1回。数年に1回になっていきました。

その代わり、飲みの回数が減ったわけではなく、相手が変わりました。本社を東京に移し、東京の商工会のメンバーと知己を得、今までとはなかった顧客との関わりが増えて、仕事の規模が大きくなっていきました。それを続けて2年すると、仕事の依頼のみならず、会社を買わないか、という話も増えていったのです。

T社長は、ステージを上げるために、自らのやり方を他人の力も借りながら、定期的に壊し、今日の著しい成長を手に入れています。


対象的な事例もあります。今でこそ、経営団体から数々の表彰をうけるようになったS社ですが、一時は業績が低迷し、踊り場から脱せない時期がありました。赤字と黒字をいったり来たり、そんな時期にご縁を頂きました。

社長から「なんとかならないか」と頼まれたのは、M取締役のことでした。M取締役は、創業メンバーの一人で、S社の主力商品のパッケージプログラムの開発者でした。会社の中でも大きな影響力を持つ一人。ところがこのM取締役、15年前の創業時も、売上げが40倍になった当時も、ほとんどやっていることが変わってなかったのです。

M取締役は責任感の強い人でした。自らが先頭にたって、設計から、開発、プログラミングまでやらないと気がすまない。自分が知らない変更があろうものなら、社員も外注も関係なく、逃げ場のないところまで詰めるため、プロジェクトが終わる頃には、疲弊した社員が同時に何人も辞めるのが恒常的な出来事になっていました。

一方、顧客数の伸びと共に、開発、変更依頼も増え、ほとんど全ての案件に関わっていたM取締役の処理能力の限界が、全社の処理能力の限界となっていったのです。もちろん、社長もこの状況を静観していたわけではなく、M取締役の役割も限定し、部長を立てて業務を分散するという組織を作ろうと試みました。M取締役は、こうした社長の介入に表だって異は唱えないものの、内心面白くありませんでした。

進捗情報把握と称し、それぞれの部長を捕まえては、些細なミスを徹底的に詰めまくるということを繰り返したのです。これをやられると結局、部長達は、M取締役にお伺いを立てないと何も勧められなくなるのでした。

やがて部長が一人抜け、二人抜け、またもとの木阿弥。こんなことが何度となく繰り返されていたのです。

M取締役には悪気はなかったのです。心のそこから会社のために、一生懸命やっていました。しかし、時間は有限です。現状維持が精一杯。その間に、競合他社が力をつけ、古くからの顧客も離れていきました。

まさに、一生懸命やりながらも、下りのエスカレーっている状態。先駆者として知られた会社は、いつのまにか勢いのある新興勢力に対して防戦一方。最先端を走っていたはずの機能も、他者が同様のサービスを展開するようになって、競争力は急速に失われていきました。


詳しくは省略しますが、結果的にM取締役は、新規機能開発に特化することになりました。語学にも担当で、欧米の最新の知見を貪欲に学ぶ力は、やはり業界の中でも群を抜いていました。M取締役が最も力を発揮することに特化するように、1年かけて組織を変えたのです。

もう一つM取締役が特化したのは、新しいマネジメントスタイルです。まず、部門の生産力を2年で5倍をすることを決めました。すると、どう頑張っても、現状の延長線には答えはないことにMさんは、気がついたのです。

そして、また同時に、今までのマネジメント(マネジメントとは言えるものではありませんでしたが、、)ではダメで、新しいやり方が必要なことにもM取締役は気がつきました。

半年間で3人の部長に既存の業務を引継ぎ、その後の半年はサポートに徹してもらいました。その結果欧米のコンベンションを周り、最新トレンドを掴む時間もできたのです。

開発部門の混乱は、受注活動にも負の影響を与えていました。クレーム案件になるのを回避するため、営業は色々な言い訳をして受注調整をしていたのです。

開発部門が正常化するにつれ、既存客からの改修、変更依頼の消化が着実に進むことがわかると、営業も安心して、新規の案件の獲得に動けるようになりました。

今のS社は業界で注目を集める会社です。この躍進は、あのときが転換点です。


さて御社は如何でしょうか?

そもそも、経営幹部は皆、自分が下りのエスカレータに乗っていることに気づいているでしょうか?

前に進むということは、流れに抗い、意図してスピードを上げることでしか得られないこと。これに気づき、必要な算段が打てているでしょうか?